monologue

トップ » 創業者のひとりごと » 「心のたより」第265号

「心のたより」第265号

%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9.jpg

12月に入り「喪中につき新年のごあいさつ、ご遠慮させていただきます」と年賀欠礼の挨拶が何通か届きました。

その中に工業高校建築科卒業で同期入社、青春時代は休日ごとに山に登り、家庭を持ってからは共に川西市内に居住し、建築に係る仕事では共に経営者となり、互いに助け合いはげましあってきた親友の奥さんからの1枚がありました。

悪性の胃がんで検査入院から50日で逝ってしまいました。64歳でした。

先日の日曜日「能勢のくぼ柿が好きやねん」と言っていたことを思い出し、野鳥のために残っていた
自宅の柿の木から枝のままの切り落とした柿を仏前に供えに行きました。

「大阪の友達等が追悼会を開くからと持っていた写真が今帰ってきたところ」と言いながら仏壇を開いてくれました。

奥さんの落ち着いた笑顔に救われました。

その親友と2人で残雪の白山(ハクサン)(石川県)に登った時、「米ちゃん厄年のこと知ってるか、
男は25歳と42歳、女は19歳と33歳で、前後の2年を含めての3年間は何か大きな災難がふりかかかる
かも知れない年の事らしいで・・・」

なぜ、そんな事を言ったのかわからないが、2人共25歳の青年だった。

65歳の年の瀬、雑学辞典を読んでいたら33は散々、42は死にの江戸時代のシャレ気たっぷりの語呂合わせで、生活のための工夫に役立ててとあった。

厄年も気にしなくなった高齢者への仲間入り、来年はどんな年になりますことやら。

今年の1年のご協力に感謝とお礼を申し上げます。

コメントを投稿

コメントは管理者の承認後に表示されますので、しばらくお待ちください。